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あの娘乗せた翼 夜空へ消えてく
空港の駐車場 もう人影もない
“行くな”と 引き止めれば 今頃二人
高速を都心へと 走っていたはず
She has flown away into the night sky
leaving me all alone in the empty airport parking
If I had not let her go
we would be driving on the highway
heading for the downtown 
 

失くしたものが あまりに大きすぎて
痛みを 感じることさえも 出来ないままさ
ひとりぼっちの クリスマス・イブ
凍えそうな サイレント・ナイト
ここからどこへ行こう
もう何も見えない空の下
 

I have lost so much I can't even feel the pain
A lonely Christmas Eve
A freezing silent night
How could I find where to go
under this dark sky showing nothing to me?
 
妹と暮すつもり しばらくニューヨークで
ひとりきり 東京で もう生きてゆけない
逢いたい時にだけ 電話かけてきて
食事して ドライブして ベッドに入るだけ
 
I’m gonna live with my sister in New York
for some time
I can't stand any more this lonely Tokyo life
You would ring me only when you want to see me
just having dinner, going for a drive, and
going to bed
 
形の無い愛だけを 信じてきたあなたは
本気で愛すること 怖れてるだけ
ひとりぼっちの クリスマス・イブ
凍えそうな サイレント・ナイト
二人で生きてきた 都会(まち)の灯りが
遠ざかる
 
Only believing in love without a definite shape, 
you are actually afraid of seriously loving someone
A lonely Christmas Eve
A freezing silent night
The lights of the city where we spent time together 
are growing fainter
 
降り出した みぞれまじりの
雨が 雪に変ってゆく
誰も皆 愛する人の
待つ場所へと 帰ってゆく
 
The sleety rain that has started to fall
is turning into snow
Everyone is going back to the place
where their beloved one is waiting
 
ポケットの中 あの娘に贈ろうとした
Golden Ring
今でも 手のひらに 握りしめたまま
ひとりぼっちの クリスマス・イブ
凍えそうな サイレント・ナイト
もう守るものなんて見つけられない
何ひとつ
 

In my pocket is a golden ring
that I tried to give her
I'm still holding it tight in my hand ...
A lonely Christmas Eve
A freezing silent night
How could I find something to stick to now?
Never... 

  翻訳: 中村泰洋

 


最近は11月の半ばを過ぎると、街は一気にクリスマスムードへと衣替えします。名古屋の地下街にもクリスマス仕様の装飾が施され、明るいクリスマスソングが流れるわけですが、今回はそんな雰囲気とは対照的なクリスマスソングをピックアップしてみました。浜田省吾が1985年にリリースした「MIDNIGHT FLIGHT - ひとりぼっちのクリスマス・イブ」です。
 
ただし、私は浜田省吾ついて、いくつかの代表曲を除いてほとんど何も知らず、語るべき内容を持っていません。何しろ浜田省吾の存在を知ったのが、1992年に放送されたTVドラマ「愛という名のもとに」という有り様ですので、浜田省吾の詳しい情報については【ウィキペディア】に譲りましょう。ちなみにこのドラマでは、浜田省吾が初期に発表した「悲しみは雪のように」という曲がリメイクされて主題歌としてタイアップされ、何と170万枚という大ヒットを記録しました。私と同世代の人、特に女性ならほぼ100%、この曲の一番を、歌詞を見ないで歌えるはずです。


「MIDNIGHT FLIGHT」にはもう1つ、ピアノをフィーチャーした別バージョンがあるのですが、そちらは少々アレンジがロマンチックすぎてイマイチです。このオリジナルバージョンの方が、シャイで不器用で意気地なしという悲しい男の性をいっそう強く伝えるような気がします。ソロパートのサックスが聞こえてきた瞬間に、こんなドラマチックな体験とは無縁の人生を送ってきたはずなのに、つきあっていた彼女がアメリカにいる妹の元にしばらく身を寄せて人生を見つめ直すというあり得ないシチュエーションへの違和感もどこかに行ってしまい、なぜか不思議な既視感が込み上げてくるのは、きっと私だけではないでしょう。
 
マライア・キャリーの「ALL I WANT FOR CHRISTMAS IS YOU」をはじめ、街に流れるクリスマスソングは、明るい曲やロマンチックな曲ばかりですが、クリスマスに特に思い入れのない私にとっては全然しっくり来なくて、「またかよ」という気持ちしか芽生えません。それよりもむしろ、歌詞全体が、「後悔」と「反省」と「絶望」と「虚脱」で塗り固められた「MIDNIGHT FLIGHT」の方がずっと沁みます。この曲を街で聴いても、消費意欲が減退するだけなのですが、このどうしようもない後ろ向きさ加減が実はハマってしまうという人は、結構多いでしょう。


歌詞に注目してみましょう。


“行くな”と 引き止めれば 今頃二人 高速を都心へと 走っていたはず


仮定法です。私は翻訳者になって10年以上経ちますが、初めて仮定法を使いました。実務系の翻訳者が仮定法を使う局面はまずないからです。仮定法というのはこういうときに使うのだという新たな発見です。愛なんてもともと形のないものなので、


形のない愛だけを信じてきたあなたは 本気で愛することを恐れているだけ


というメッセージは何やら不可解ですが、「形のない愛」とは何か、とか、「形のない愛だけを信じていると、どうして 本気で愛することを恐れることになるのか」といった面倒な質問をファンにぶつけてはいけません。「形而上学的なフレーズというのは、何となく意味深でカッコいいよね」で良いのです。余計な解釈を加えないのが、翻訳者のあるべき姿です。


 先述のとおり、私にとってクリスマスが特別だったことは、少なくとも大人になってからは一度もなく、普段と同じように仕事をしていた記憶しかありませんが、独身の頃も仕事帰りに小さなケーキを買って家で食べるというのが、ささやかなクリスマスの習慣でした。ヤマト運輸で働いていた20代前半の頃、クリスマスイブの夜に配達後の伝票を整理しながら先輩社員と交わした何気ない会話が、今でも何となく印象に残っています。
 
先輩:「もうこの年だと、別にクリスマスって言っても何でもないなあ」
私:「そうっすね。私も一緒ですよ」
先輩:「中村くんは若いから、そんなことないだろう」
私:「いやあ、別に普通ですね。だって今日もこうやって出勤してるじゃないですか。明日も出ますよ」
先輩:「そっか。でもオレもそんな感じだったかなあ」
 
マスコミはいろいろと煽り立てますが、ひとり暮らし男性のクリスマスというのは、だいたいこんなもんじゃないかと思います。
 
24日も25日も普通に働き、夜遅く家に帰って、「そういえば今日はクリスマスだったな」と思いながら、ひとり静かに聴く。この曲は、そんなシチュエーションにぴったりです。

 2016年12月に加筆・修正。

  

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選手権決勝を前に抱く複雑な心境

カテゴリ : 
スポーツ
執筆 : 
ellersley 2011-11-13 14:18

このブログを読んでいる人はおそらく誰もご存知ないと思いますが、11月19日の12:30から、瑞穂陸上競技場で第90回全国高校サッカー選手権の愛知県大会決勝が行われます。


この試合に勝ったチームが、愛知県代表として冬の全国高校サッカー選手権に出場するという、高校生サッカー部員にとって最も価値ある大会です。


今年決勝に進出したのは、名古屋市の中京大中京高校と、同じく名古屋市の市立名東高校。名東高校は公立ですが、永曽哲也先生の指導の下、近年メキメキと力をつけてきた新興勢力です。


対する中京は、一昨年、昨年と続けてこの大会を制している常連で、好選手を揃えた優勝候補の筆頭です。チームを率いるのは、献身的なプレーで黎明期のグランパスを支えた名ミッドフィルダー、「ミスターグランパス」こと岡山哲也監督。偶然にも同じ名前ですね。


下馬評では中京に軍配が上がりますが、名東は持ち前の組織力を活かし、準々決勝で東邦、準決勝で岡崎城西といった強豪校を下しており、勢いがあります。


名東の永曽哲也先生は、私が20年ほど前に卒業した某高校でサッカー部の顧問をしておられました。そうです。恩師なのです。当時、永曽先生はまだ30過ぎと若くて経験が浅かった上、赴任してきたばかりということもあり、私たちはまったく結果を出せませんでしたが、週末も毎週のように練習試合を組むなど、熱心に指導してくださいました。


公立高校の教諭である永曽先生にとって、「私立に勝って全国大会出場」が悲願であることは間違いありません。当時は若かった永曽先生ももう50代半ば。今回のようなチャンスはこの先そうそう巡ってこないでしょう。


当日は授業後に私も観戦に行く予定で、応援するのはもちろん名東!


というストーリー展開を予想した読者が多いと思いますが、必ずしもそうではありません。決勝を前に、私は少々複雑な心境です。先ほど永曽先生について立場上「恩師」と書きましたが、私は永曽先生を真の意味で「恩師」と思ってはいないからです。


特に運動能力に秀でていたわけでもなく、しかも高校に入ってからサッカーを始めた私は、当然のことながら選手としてはヘナチョコでしたが、それでも2年生の一時期、右サイドバックや守備的ミッドフィルダーとして何度か先発で試合に出してもらえました。しかしある試合で永曽先生に叱責され、その後はメンバー落ち。そして3年に上がって引退するまで、私に2度と公式戦の出番は回ってきませんでした。


後から入ってきた下級生も台頭してきて、客観的に見れば自分はメンバー落ちして然るべき実力でしたが、メンバー落ちしてからの私に、永曽先生は私に一度もアドバイスをすることもなく、練習試合でさえ出場15分といったこともありました。「もうお前に用はない」と言われている感じがして、私は、「自分がもう一度試合に出られることはないだろうな」と思いながら引退までの時期を過ごしました。


使ってもらえた時期に関しても、自分の何が強みで、何を理由に自分を起用してくれたのかわからないままプレーしており、「もう少し前に出ても良いのかな」と思って少し上がり目でプレーしてみれば、「お前はフォワードじゃない」という叱責。結局私は、高校時代に先生から自分のプレーを褒められたことは一度もありませんでした。


先日、日本サッカー協会のコーチ養成ライセンス講習を受けたとき、担当コーチの指導ぶりは、当時の永曽先生とは対極的で、それはもう感動的とも言えるものでした。ほんの些細なプレーでも、


「良いよ今の動き」


とか、


「ナイスプレーだ!」


といった褒め言葉で選手のモチベーションを高め、まずかったプレーを指摘するときでも、


「何やってんだ、そこはクリアだろう!!」


ではなく、


「今のプレー、他の選択肢はなかったかな?」


とか、


「逆サイドは見えていたかな?」


という具合に、あくまでも本人に考えさせる質問形式なのです。


もちろん私は、永曽先生を憎んでいるわけではありません。永曽先生に悪意がなかったことは十分に承知していますし、今と違ってJリーグもなかった時代。指導方法に関する情報は乏しかったでしょうし、永曽先生自身もまだ若く、指導者として十分な経験を持っていなかったでしょう。あれから20年以上がたった今、もしかしたら永曽先生も日本協会のコーチのような指導法を心得ているかもしれません。そして何よりも、永曽先生の下でサッカーをやったことが、現在の私自身のキャリアや人生観に少なからず影響を及ぼしていることは紛れもない事実です。


しかしあのとき、自らの判断でメンバー落ちさせた私に対して、オシムやザッケローニみたいに、「なあ中村、お前は●●が強みだから、こういうプレーを磨くといい。そうすれば、メンバーに戻るチャンスはいくらでもあるぞ」と一声かけてくれていたなら、その後の自分の取り組み方も大きく違っていたのではないかという気がしないでもありません。


「そんなことは自分で考えることだ」


そういう意見もあるでしょう。でも、当時私はまだ高校生。そんなに主体的に取り組めるほど成熟してはいませんし、特に私は幼いころからサッカーをやっていたわけでもない。この年代の指導者はもっと一人ひとりに介入して良いと思います。


一方、中京の岡山監督は、私が尊敬する世界的名将アーセン・ベンゲル監督によって、「才能がないのに開花した」という希有な選手です。何か特別な強みがあったわけでもないのに、泥臭くも献身的なプレーで苦しい時期もチームを支え、12シーズンもの長きにわたってグランパスでプレーしました。その選手生命は、何の取り柄もない翻訳者でありながら、ベテランが敬遠するような割の悪い仕事や面倒な仕事も積極的に引き受けることによってしぶとく生き延びてきた私自身のこれまでのキャリアと何だかダブります。岡山監督はまた、周りの誰に対しても常に誠実かつ謙虚という優れた人格の持ち主で(別に直接会ったことがあるわけではなく、各種メディアやインタビュー記事等からの印象です)、多くのファンに愛されたからこそ、親しみを込めて「ミスターグランパス」と呼ばれました。私自身も例に漏れず、現役時代の岡山選手を非常に印象強く記憶していますし、そのプレースタイルも好きでした。その後グランパスの育成部で指導経験を積み、母校である中京で監督に就任。まだ30代の若い監督ですが、選手としても監督としてもプロ街道を歩んできたプロフェッショナルのサッカー人です。


永曽先生の直接指導を受けた私は、その悲願をもちろん理解しています。その悲願を達成して欲しいという気持ちももちろんありますが、ディープな部分で、悲願達成を素直に喜べない部分もあります。若輩とはいえ、岡山監督はサッカーのプロです。私にとって必ずしも良い指導者ではなかった永曽先生に、プロの実力というものを見せつけてやって欲しいという屈折した思いも交錯し、私は決勝を前に、どちらを応援しようか未だに決めかねているのです。

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不思議な魅力のあるドーナツ屋

カテゴリ : 
グルメ
執筆 : 
ellersley 2011-10-6 17:05

意味深なタイトルにしてしまいましたが、ミスタードーナツのことです。私は特にドーナツが好きというわけではなく、ミスタードーナツが特別に美味しいとも感じませんが、でもなぜかときどき、無性に食べたくなります。

 

ミスタードーナツは、ダスキンという会社が運営しています。ご存知の通り、ダスキンは清掃会社です。モップやホウキをレンタルしていて、キッチンやエアコンの掃除をするサービスを提供しています。

 

1つの企業が複数の業種で事業を展開すること自体は別に珍しいことではありません。しかし普通は、本業と関係の深い業種で新規事業に乗り出すのが常識です。

 

たとえば新日鉄は、誰もが知る製鉄会社ですが、新日鉄ソリューションズという情報システムの構築・運営会社も持っています。製鉄と情報システムというのは一見無関係に思えますが、実は密接な関係があります。現在の製鉄プロセスは、高度なシステム制御を要するため、必然的に制御技術が蓄積されるのです。

 

清掃事業とドーナツ店。一見無関係に思えるこの両業態も、実はダスキンならでは水平展開です。自社開発のモップの威力がドーナツ店で力を発揮するのです。その威力を存分に発揮できる環境としては、やはり焼き肉屋やカラオケやよりも、床が粉だらけになるドーナツ店の方が適しているのでしょう。そこで採取したデータを基に、主力製品のモップがさらに改良されます。素晴らしい水平展開です。高炉を精密に制御する過程で培ったシステム制御技術を基に水平展開を行っている新日鉄ソリューションズのケースに何ら引けをとりません。

 

私の住む町には、残念なことにミスタードーナツがありません。ないのですが、ドーナツ100円セールの新聞織り込みチラシはなぜか頻繁に入ってきます。そのセールの恩恵に与かるには、自転車で20分ほどかかる隣町の店舗まで行かなくてはなりません。しかしこの世に、ドーナツを食べるためだけに往復40分も自転車を漕ぐ人はいないでしょう。かくして私は往々にして、チラシを見ながら、「食べたいなぁ」と思うだけで終わります。

 

2、3年前にダスキンがモスバーガーと提携したとき、私は「なるほど」と唸らずにはいられませんでした。モスバーガーは、その業態ゆえ、ランチタイムが終わると客足がパッタリと止まってしまいます。早朝と昼下がりにドーナツを売れば、出勤前のOLや学校帰りの高校生がやって来るので、店舗はアイドルタイムがなくなり、効率よく売り上げを伸ばすことができます。一方ミスタードーナツにとっても、ランチメニューはどうも中途半端で、ドーナツ屋なのに肉まんやタンタン麺を売っていて、誰の目にも迷走は明らかです。昼にハンバーガーを売れば、ランチタイムの客単価は倍増します。

 

私は近くのモスバーガーがドーナツを売り始めるのを心待ちにしていましたが、一向に売る気配がありません。その一方で、「ドーナツバーガー」とか「ポテド」といった、これまた中途半端な商品を出し、一瞬だけ話題になって早々と終息してしまいました。

 

2つのものを1つにするというアイデアは、一見便利で魅力的に映りますが、そのほとんどは短命に終わります。テレビとビデオを一体化した「テレビデオ」、携帯電話とPHSを一体化した「ドッチーモ」、寿司と焼き肉が食べられるバイキング形態のレストラン... 当事者としては「良いとこ取り」をしたつもりでも、消費者には中途半端と映ってしまうというのが世の常です。iPhoneを始めとするスマートフォンは、「パソコンと携帯電話」の融合体ですが、「スマート」とネーミングした上、直接画面に触れて操作するという新しいユーザーエクスペリエンスを提案したから成功したことを忘れてはなりません。持っているだけで、垢抜けていて洗練された聡明な人間になれるような錯覚を抱かずにいられないのです。もし「スマートフォン」が、「ケーコン」とか「パソフォン」とかいう名前だったなら、これほどのヒット商品にならなかったでしょう。さすがのミスタードーナツと言えども、このアイデアは少々浮薄でした。

 

話が逸れてしまいました。ミスタードーナツに戻りましょう。ミスタードーナツを運営するダスキン社の業績と株価をちょっと見てみたいと思います。2011年3月決算時のデータです。

 

総資産 純資産 資本剰余金 一株純資産  
(百万円) (百万円) (百万円) (円)  
185,086 131,190 - 2,009  
         
株主資本比率 短期借入金 長期借入金    
(%) (百万円) (百万円)    
70.9 0 0    
         
売上高 営業利益 経常利益 純利益 一株利益
(百万円) (百万円) (百万円) (百万円) (円)
177,320 10,937 12,613 5,248 79.39

 

 ダスキン社の業績推移

 

一言で表せば、「堅実」です。売り上げは減少傾向にありますが、原材料費の高騰や消費者の節約志向の中でも1770億円という巨額の売り上げを記録しており、毎年一定の営業利益率を維持しています。翻訳業界全体の市場規模が2000億円と言われていることからも、その大きさがうかがい知れます。さらに特筆すべきは、70%を超える株主資本比率と無借金という財務体質です。これらの数字から、「無理な投資はせず、自分たちにできる範囲でコツコツやる」という経営姿勢が伝わってきます。2011年10月6日現在の株価は1552円で、PERが16.02倍、PBRが0.69倍、ROEが3.555%、配当が40円(2.62%)です。値動きは非常に安定しており、「大きくは儲からないが、それほど損もしない」安定した銘柄と言えるでしょう。3.555%というROEはやや物足りないようにも感じますが、ドーナツのような薄利多売のビジネスを考慮すれば妥当な水準と思われます。

 

私にとって最も思い出深いミスタードーナツの店舗は、独身のときに住んでいた愛知県大府市にあるJR大府駅前店です。といっても、店そのものに深い思い入れがあるわけではありません。そんなに頻繁に立ち寄っていたわけでもないし、冒頭で述べた通り、ドーナツが特別美味しいというわけでもない。でもなぜか、当時の生活や記憶、あの素晴らしい町で経験した数々の出会いや出来事がこの店とリンクするのです。あの微妙なレトロ感を醸し出している若干チープな木目調のインテリアが、セピア色の思い出と重なるのでしょう。ミスタードーナツ側からすれば、もちろん計算済みです。本人が気づかないうちに潜在意識にしっかりと居すわるという高度なマーケティング戦略を採用しているのですね。

 

これまでの私の人生の中でメインステージになったことは一度もないのに、なぜか私の記憶にしっかりと根を下ろしているミスタードーナツ。特段に美味しいわけでもないのになぜか定期的に私の食欲をそそることと相まって、不思議な魅力を放っているのです。

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Secret / HEART - 20 年越しの再発見

カテゴリ : 
音楽
執筆 : 
ellersley 2011-9-26 15:39

以前のブログで、HEART の In Walks The Night という曲を紹介し、その中で、HEART のサウンドについて、80 年代のコマーシャルサウンドよりも、ロック路線に回帰してからのサウンドの方が好みだと書きました。

 

しかしその後、「待てよ。80 年代の HEART について、好みを判断するほど聴いていないのではないか。知っているのも数曲のヒットナンバーだけだし」と思うようになりました。そして、そんなことを思い始めたら、80 年代の作品をどうしても聴きたくなりました。

 

HEART は 1970 年代から活動している長老バンドなので、代表作といっても、世代によって、あるいは個人の音楽嗜好によって異なりますが、多くのファンが挙げるのが、90 年に発表された「BRIGADE」です。

 

前々作『HEART』から These Dreams が、そして前作『Bad Animals』からも Alone が全米チャートで No.1 を記録し、大きな期待とプレッシャーの中で製作・発表された(であろう)BRIGADE は、80 年代のコマーシャルサウンドを凝縮した集大成とも言える 1 枚です(90 年発表なので、厳密にいえば 80 年代ではないのですが、HEART の歴史を考えると、80 年代のサウンドに括られます)。

 

当時高校生だった私は、このアルバムを(レンタルですが)リアルタイムで聴きました。確かに聴いたはずなのですが、ほとんど印象に残っていません。当時の私にとって、音楽といえばハードロック/ ヘヴィーメタルであって、「こんな売れ線狙いのポップロックなんて聴けるか」という先入観があり、HEART を受け入れる準備ができていなかったのだと思います。

 

今ごろになって無性に聴きたくなり、Yahoo!オークションで BRIGADE を探してみたら、ありました。豪華なスウェードジャケットに入った初回限定版がたったの 1,000 円。この初回限定版には、最近すっかり見かけなくなった 8cm CD が付属しており、ボーナストラック 3 曲が収録されています。こちらもきちんと入っていました。これはまさしく、高校生の頃、私が部活帰りに毎日のように立ち寄っていた SOUND 4343 植田店でレンタルしたパッケージです。

 

Brigade 日本限定特別パッケージ

 

豪華スウェードジャケット

 

落札から数日。届いた CD から流れてきた音楽は、...

 

ああやっぱり...

 

オープニングチューン Wild Child のイントロから、もう凄すぎて、言葉になりません。当時より下されていた名作との評価に違わぬ素晴らしいサウンドでした。

 

粒揃いの佳曲ばかりで、1 曲だけを選ぶのも難しいのですが、その中から、今回は Secret を取り上げたいと思います。

 

Secret / HEART

Words: Franne Golde

Music: Bruce Roberts

 

 

We lead two different lives
Just like two lines that never cross
And here we are together
Standing closer than we are
But we're still standing here untouched
Too scared to make a move
We want so much to touch
And we can't wait forever
We know it's dangerous
For us to be together

 

決して出逢うはずのない人生を歩んできた2人
そんな私たちが
今ここで一緒にいる
触れ合うほどの距離だけど
触れ合ってはいない
動きたくても 怖くてできない
早く触れたい 待ちきれない思いなのに
つながり合うのは危険だと
お互いわかっている

 

How do we ever keep this secret
How do we keep it in the dark
And if we dare to taste our weakness
How could we tear ourselves apart
Why do we keep this love together
Didn't we know right from the start
That we would have to keep this secret
Or forever stay apart

 

どうすれば、この秘密を守れるの
どうすれば、隠しておけるの
互いの弱みを認め合ってしまったら
どうやって別れたらいいの
秘密にしておくことができないのなら
永遠に別れるしかない
そんなこと
最初から分かっていたはず

I watch you coming to me
Walking in the pouring rain
I can't help looking at you
Wishing I could stay away
So many times I've tried in vain
To close my eyes and pray it goes away
But I can't stop myself from feeling
To let you go would be too much
For me to take

 

降りしきる雨の中
あなたが歩いてくる
離れていたいと思いつつも
目を向けずにはいられない
目を閉じて、気持ちを振り払おうとしたけど
何度やってもダメだった
あなたと別れるなんて
あまりにも辛すぎるから

 

 

How do we ever keep this secret
How do we keep it in the dark
And if we dare to taste our weakness
How could we tear ourselves apart
Why do we keep this love together
Didn't we know right from the start
That we would have to keep this secret
Or forever stay apart

 

どうすれば、この秘密を守れるの
どうすれば、隠しておけるの
互いの弱みを認め合ってしまったら
どうやって別れたらいいの
秘密にしておくことができないのなら
永遠に別れるしかない
そんなこと
最初から分かっていたはず

 

Solo

 

 

I can't help thinking
When I look into your eyes
How much I need you
It's so hard to hide

 

あなたの瞳を覗き込むと
隠しきれない想いの大きさを
感じずにはいられない

 

How do we ever keep this secret
How do we keep it in the dark
And if we dare to taste our weakness
How could we tear ourselves apart
Why do we keep this love together
Didn't we know right from the start
That we would have to keep this secret

 

どうすれば、この秘密を守れるの
どうすれば、隠しておけるの
互いの弱みを認め合ってしまったら
どうやって別れたらいいの
秘密にしておくことができないのなら
永遠に別れるしかない
そんなこと
最初から分かっていたはず

 

  翻訳: 中村泰洋

 

切ない。切なすぎる。ピアノで始まるロックバラードは、Motley Crue の You're All I Need 然り、Guns 'N' Roses の November Rain 然り、私の琴線に触れることが多くて基本的に好きなのですが、哀愁極まりないこの美旋律もまた、例に漏れず私の涙腺を緩めました。

 

「浮気ソング」というジャンルにおいて、これまで私は、サザンオールスターズの「秘密のデート」こそが史上最高傑作と定義していましたが、ナンバーワンは入れ替わりました。そして、アン・ウィルソンが Why do we keep this LO〜VE とシャウトした瞬間に、禁断の恋に落ちたこの歌の主人公を許すと共に、「これは浮気を越えた究極の浮気、つまり本気である」と解釈するに至りました。

 

最大の聴きどころは、ハワード・リースが奏でる美しいギターソロからサビに至る展開です。特に、ギターソロ直後のヴァースで、アンが「Woo I can't help thinking...」と入っていくところが実に感動的。女性ヴォーカルでありながら、声量が大きくて力強いというアンの声質が、曲の切なさを一層引き立てているように感じます。

 

アン・ウィルソンが 1950 年生まれということなので、当時のメンバーは全員がおそらく 40 歳前後と思われます。このような曲は、やはりある程度齢を重ねてこそ歌えるものであり、このくらいの年齢になってこそ理解できる世界観というのがあるのだと、当時のハートの年齢に達した私は思うのです。この曲を、例えばいきものがかりの吉岡聖恵が歌っても、おそらくしっくり来ないでしょう。逆に、亡くなる直前のテレサ・テンが歌っていたら、それはもう、「別れの予感」をも超越する稀代の名曲になっていたかもしれません。

 

英語で書かれたラブソングを日本語に訳すと、何となく白々しくなるといいますか、気恥ずかしい感じになってしまいます。それはきっと、私たち日本人が、以心伝心という独自のコミュニケーション手段を持っており、「言霊」というユニークな概念を古より継承しているからでしょう。普通の日本人なら言葉に表さず、言外に匂わせるメッセージが、文字という明確な形でくっきりと浮かび上がってきてしまうと、何となく抵抗感を感じてしまうのだと思います。

 

プロモーションビデオの映像から、日本で撮影されたものであることがわかります。BRIGADE のリリースに伴うツアーで来日したときに撮ったのでしょう。1990 年ごろの街や人の様子もまた、ある種のノスタルジアを誘います。

 

「そんなに良いなら、ちょっと聴いてみたいな」

 

と思う人がいるかどうかわかりませんが、もしいれば、お貸しします(現あるいは元受講生に限ります)。

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石黒部長の粋な計らい

カテゴリ : 
思い出
執筆 : 
ellersley 2011-7-1 15:20

7月はお中元の季節です。私自身はお中元とは縁のない生活を送っていますが、この時期になると、十数年前のことを思い出します。


当時20代の前半だった私は、1年ほどですが、クロネコヤマトの運転手をしていました。重い荷物を時にはアパートの5階まで階段で運んだりして、なかなか大変な仕事なのですが、お中元とお歳暮の時期にあたる7月と12月は特に厳しい時期です。荷物の量が普段の1.5倍くらいになる上、普段は荷物のない家に配達するので、場所が分からなかったり、分かっていてもうっかり通り過ぎてしまったり。また、お中元やお歳暮がたくさん届く家は豪邸が多くて、こちらは急いでいるのに、呼び鈴を鳴らしてから、中のご婦人が玄関先まで出てくる時間が長いこと長いこと。何しろ玄関の扉から門までの通路が40メートルもあったりするのです。あまりにも遅いので門扉を開けて中に入ったら、犬が飛び掛かってきて手を噛まれたなんてこともありました。


肉体的にはハードな仕事でしたが、今思い返してみると、良い思い出に包まれています。基本的には担当区域を1人で回るので、命令や指図を受けることがなく、配達ルートも自分次第。今と違って時間帯お届けなんていう面倒なサービスもなかったので、荷物が少ない日は、途中で少し休憩することもできました。性格的には仕事に合っていたように思います。また、仕事を教えてくれた成田さんを始め、先輩社員はほぼ例外なく親切で気さくした。


また、営業所内で唯一英語を話せる社員だった私は、外国人のお客さんが質問をしてきたときに対応を求められることがあり、受付のスタッフから感謝されることもありました。


そんな中、今でも強烈に記憶している出来事があります。


あるとき、夜遅くにどうしても届けないといけない荷物があり、部長(肩書はあまり覚えていません。副所長や主任だったかもしれません)と一緒に届けに行ったことがありました。主幹ベースでの誤仕分けによって営業所への到着が遅れた荷物だったと思います。ヤマトは翌日配達を謳っているので、営業所に届いた荷物は、その日のうちに配達にいかないといけないのです。


自分の担当区域だったので、場所を知っていた自分が部長を乗せて行きました。夜の11時ごろだったと思います。部長が荷物を相手に手渡しながら何度も頭を下げているのが、車の中から見えました。「こんな時間に持ってくるんじゃないよ」と怒られていたのは明らかでした。


帰り道、私が運転するトラックをコンビニで停めさせた部長は、足早に店内に入っていくと、缶ビールを2本買ってきて、「お疲れさん」と言いながら私に1本くれました。


当時の部長は、今の私と同じくらいの年齢だったと思います。今もし自分が逆の立場だったとして、あの状況で果たして部長と同じ行動をとれただろうかと考えると、正直なところ自信がありません。「おまえの担当区域だから、行ってきて」と一言言い放つだけという気もします。


組織内で上に立つ者としてはごく当たり前の姿勢であって、それほど特筆すべき行為ではないのかもしれません。ヤマトは大企業なので、もしかしたら、あのような状況で契約社員に持って行かせないという決まりになっていたのかもしれません。


それでも、部長が見せたその行動に、私は、組織で働くことが必然的に伴う理不尽と、そんな理不尽な役回りを、ぼやくこともなく粛々と受け入れる企業人としての矜持を見出しました。そして、部長のその粋な計らいに、大人としての懐の深さといいますか、年長者としてのある種のプライドのようなものを感じたのでした。


私は今、フリーランス翻訳者として自宅で1人で仕事をしているので、このような状況とはほぼ無縁ですが、もし将来、例えば法人化したりして従業員を雇ったりするようなことがあれば、そんな粋な計らいを是非とも後輩にしてあげたいなと思います。


当時、ヤマト運輸名古屋天白営業所に勤めていらした石黒さんのお話です。

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