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ボランタリー活動だって立派な経験

カテゴリ : 
思い出
執筆 : 
ellersley 2012-1-30 12:10

私はかつて5年ほど、愛知県大府(おおぶ)市に住んでおり、ボランティアとして市の公報を英訳する仕事を手がけていました。最近は多くの自治体で同様の取り組みが行われており、市内在住の外国人向けに、病院の休日診療スケジュールや、季節のイベント情報、ゴミの分別方法などを各国語で記したニュースレターのようなものを定期的に発行しています。


引っ越してきて間もないころに、自分が住んでいる街ともう少し主体的に関わりたいという思いから軽い気持ちで問い合わせたのですが、その当時すでに翻訳者として仕事をしていたということもあり、すぐに仕事を頼まれるようになりました。


仕事といってもボランティアですので、分量は大したことなく、月に1度、せいぜいA4サイズ1〜2ページほどだったと思います。ボランティアが書き上げた訳文は、市役所に常駐している国際交流員のネイティブチェック・校正を経て印刷され、市内の各施設に配布されていました。もちろん無料ですので、それを見れば、自分が訳した原稿が最終的にどうなっているのかを簡単に確認することができ、良質な添削を受けているのと同じ状態でした。


本業が忙しいときにはこの仕事が負担に感じられることもありましたが、このボランタリー活動には、大きな付加価値がありました。外国から来客があったときに、通訳として市のイベントに随行するよう要請されるのです。もちろんその仕事も無償なのですが、小中学校を訪問して、ゲストと一緒に体育や書道の授業を受けた後、子供たちと一緒に給食を食べたり、生まれて初めて日本に来る外国人に、公衆浴場でのマナーを指導しながら市内の温泉施設に一緒に入って語らったりするという非日常な体験が、とかく単調になりがちな独り暮らし生活に適度な刺激をもたらしてくれました。


あれは確か2000年の12月頃だったと記憶しています。大府市の市制30周年記念行事の一環として、姉妹都市提携を結んでいる豪州ポートフィリップ市から、ジュリアン・ヒル市長を含む3人のゲストを招いた大きな式典が行われました。このとき、市長のスピーチやその後の交流セッションの通訳という、これまでにない大役が回ってきました。


ヒル市長は当時27歳で、当時の私よりもさらに年下だったことには驚きましたが、壇上に上がってスピーチを始めたときに市長が見せた、年齢に似つかわしくない大人びた対応が実に印象的で、今でもよく覚えています。


私が事前の挨拶で述べた、「私はボランティアの通訳者であって、残念ながらプロフェッショナルではない。もしかしたら、ちょっと聞き直してしまうこともあるかもしれないがご容赦いただきたい」という言葉を覚えていたのでしょう。そのスピーチにおける市長の発音は、1つひとつの単語が実に明瞭で、1文ないし2文を話し終えたところ、すなわち普通のスピーチよりも明らかに早いタイミングでポーズを入れたのです。


ちょっとトチったところもありましたが、私は大過なく役割を果たすことができ、式典終了後、市役所の担当職員の方から、「中村さんお疲れさま。市長の通訳、なかなか難しい内容もあったのに、とても分かりやすかったですよ。ありがとうございました」という言葉をいただきました。


翻訳を学んでいれば、誰しも実務を経験してみたいことでしょう。一日でも早く実務について報酬を受け取れるのが理想的ではありますが、現在の厳しい業況の中で未経験者が仕事を獲得するのは確かに簡単ではありません。もちろん、無報酬でも良いから訳したいという人はたくさんいますし、当時の私のような職業翻訳者がボランティアとしても活動している場合もありますから、ボランタリー翻訳が決して簡単というわけではないのでしょうが、職業翻訳よりはハードルが低く、競争も緩慢でしょう。また、自治体のボランタリー翻訳という仕事は、商業翻訳と比べるとエンドユーザーが身近に存在します。子供を連れた若い母親らしき女性が私の訳したニュースレターを棚から持っていく様子を、私は実際に何度か市役所で見かけました。このように、「自分が訳した文章を確実に誰かが読んでいて、わずかながらも誰かの役に立っている」という実感をダイレクトに得ることができるのです。その喜びの大きさは、報酬の有無ないし多寡とは無関係であり、そういう体験は、学習意欲を一層駆り立ててくれることでしょう。


私は、このボランタリー活動の内容を、新しい取引先や応募先に提出する職務経歴書の末尾に今でもしっかりと書き込んであります。ボランタリー活動だって立派な職歴なのです。


結局私は2004年に大府市から転出し、現在住んでいる街に引っ越してきたのですが、転出から1週間後、大府市の国際交流課から1通の封書が届き、中にはボランタリーワークに対する礼状と図書カードが入っていました。


大府という街は、名古屋の都心からほんの一足なのに葡萄が美味しい適度な田舎で、それでいて財政は豊かで、市内にはバカ広くてきれいな公園とホテルのような豪奢なスポーツ施設、国内屈指の医療施設があり、街は遊歩道が整備されていて住民の民度が高いだけの街ではなく、このように人に優しい街でもありました。


要するに、私は大府という街が大好きだったということです。

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石黒部長の粋な計らい

カテゴリ : 
思い出
執筆 : 
ellersley 2011-7-1 15:20

7月はお中元の季節です。私自身はお中元とは縁のない生活を送っていますが、この時期になると、十数年前のことを思い出します。


当時20代の前半だった私は、1年ほどですが、クロネコヤマトの運転手をしていました。重い荷物を時にはアパートの5階まで階段で運んだりして、なかなか大変な仕事なのですが、お中元とお歳暮の時期にあたる7月と12月は特に厳しい時期です。荷物の量が普段の1.5倍くらいになる上、普段は荷物のない家に配達するので、場所が分からなかったり、分かっていてもうっかり通り過ぎてしまったり。また、お中元やお歳暮がたくさん届く家は豪邸が多くて、こちらは急いでいるのに、呼び鈴を鳴らしてから、中のご婦人が玄関先まで出てくる時間が長いこと長いこと。何しろ玄関の扉から門までの通路が40メートルもあったりするのです。あまりにも遅いので門扉を開けて中に入ったら、犬が飛び掛かってきて手を噛まれたなんてこともありました。


肉体的にはハードな仕事でしたが、今思い返してみると、良い思い出に包まれています。基本的には担当区域を1人で回るので、命令や指図を受けることがなく、配達ルートも自分次第。今と違って時間帯お届けなんていう面倒なサービスもなかったので、荷物が少ない日は、途中で少し休憩することもできました。性格的には仕事に合っていたように思います。また、仕事を教えてくれた成田さんを始め、先輩社員はほぼ例外なく親切で気さくした。


また、営業所内で唯一英語を話せる社員だった私は、外国人のお客さんが質問をしてきたときに対応を求められることがあり、受付のスタッフから感謝されることもありました。


そんな中、今でも強烈に記憶している出来事があります。


あるとき、夜遅くにどうしても届けないといけない荷物があり、部長(肩書はあまり覚えていません。副所長や主任だったかもしれません)と一緒に届けに行ったことがありました。主幹ベースでの誤仕分けによって営業所への到着が遅れた荷物だったと思います。ヤマトは翌日配達を謳っているので、営業所に届いた荷物は、その日のうちに配達にいかないといけないのです。


自分の担当区域だったので、場所を知っていた自分が部長を乗せて行きました。夜の11時ごろだったと思います。部長が荷物を相手に手渡しながら何度も頭を下げているのが、車の中から見えました。「こんな時間に持ってくるんじゃないよ」と怒られていたのは明らかでした。


帰り道、私が運転するトラックをコンビニで停めさせた部長は、足早に店内に入っていくと、缶ビールを2本買ってきて、「お疲れさん」と言いながら私に1本くれました。


当時の部長は、今の私と同じくらいの年齢だったと思います。今もし自分が逆の立場だったとして、あの状況で果たして部長と同じ行動をとれただろうかと考えると、正直なところ自信がありません。「おまえの担当区域だから、行ってきて」と一言言い放つだけという気もします。


組織内で上に立つ者としてはごく当たり前の姿勢であって、それほど特筆すべき行為ではないのかもしれません。ヤマトは大企業なので、もしかしたら、あのような状況で契約社員に持って行かせないという決まりになっていたのかもしれません。


それでも、部長が見せたその行動に、私は、組織で働くことが必然的に伴う理不尽と、そんな理不尽な役回りを、ぼやくこともなく粛々と受け入れる企業人としての矜持を見出しました。そして、部長のその粋な計らいに、大人としての懐の深さといいますか、年長者としてのある種のプライドのようなものを感じたのでした。


私は今、フリーランス翻訳者として自宅で1人で仕事をしているので、このような状況とはほぼ無縁ですが、もし将来、例えば法人化したりして従業員を雇ったりするようなことがあれば、そんな粋な計らいを是非とも後輩にしてあげたいなと思います。


当時、ヤマト運輸名古屋天白営業所に勤めていらした石黒さんのお話です。

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